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古来より存在する「眼鏡」。一時はコンタクトレンズが大流行しましたが、近年様々な利点によりその利用法が見直されつつあります。また、最近街中で目を引く「眼鏡っ娘」。眼鏡を掛けるだけでなぜ可愛く見えるのでしょうか。今日のクローズアップ現代は世界を侵食する『眼鏡っ娘』の魅力について迫ります

5D Mark IVとSIGMA 24-70 F2.8 DG OS HSM | Art を購入しました

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昨年の3月に大学院を終了し、お仕事が始まって以来めっぽう忙しくってBlogを書くどころかTwitterでRTするのも面倒になってきてしまいました。もっとも、Twitterでのツイートは2年ほど前からほとんどしなくなってしまったのですが。

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罪業の日本酒

久しぶりに地元の部活動の同期とお酒を飲みながらゆっくり話す機会があった.要は飲み会である.

今年は(と言っても年が変わったので「今年度は」というのが正解だが)地元に帰ると言っても,就職活動にかこつけて合間を見つけネズミのように忙しなく地元を訪れ,一日程度滞在しそそくさと大学院へ帰るというなんとも形容し難い忙しさとともに帰省するのが常であった.もちろん,研究の進捗のためであった.

研究.

研究というより研究者,あるいは研究に従事する学生というのはほとほと因果な商売であると思う.何らかの成果を求め研究活動という実験や考証を中心とした一連の学術的な活動を行い,成果を発表するというのが一連の流れであろう.その一連の流れを抑えた上で,成果に求められるのが新規性や有効性,信頼性と言ったことが求められるのである.しばしば学生というものは研究室や教授を選ぶ際に,テーマや新規性についてのみ悩み,あまり教授との関係性について悩むしないという様子をみる.その後は予定調和のごとく研究室・テーマが決まってから数ヶ月立つと教授と折り合いがつかずに気を病み,神経を衰弱させるというのが常であるというようなものだ.研究室を選ぶ基準として教授と気が合いそうかどうかというのは極めて重要なのである.率直に言えば,研究そのものよりも研究室内部の人間関係が重要だ,といっても過言ではないし,そう言い換えられるだろう.

ともかく,私が大学を,研究室を選んだのはテーマに惹かれたから,というのが主な理由であった.教授との相性は全くと言って良いほど考えずに選んだものだが思ったよりも教授との相性はよく,進捗報告も教授との打ち合わせも図ったかの如くつつがなく進んだのだった.

大学がある土地は日本酒の名産地として様々な銘柄がまさに群雄割拠するような有様で,適当にスーパマーケットで地酒を買ってきても美味しくないものなどなく,どれも一様に美味しいと評価できるお酒を味わえる土地であった.しかし研究室のメンバで集まってお酒を飲む機会などほとんどなく,年に数度あるかないかである.日本酒の産地として有名な土地にいるのにまさにもったいない.そのため日本酒を飲む機会というのは自宅のアパートメントで飲むくらいしかないのである.

最近日本酒を飲むと思い出すことがいくつかある.
一つは,誰もおらず部屋で一人さみしく飲む日本酒の味であり,筆者以外誰もいない薄暗い部屋に響くネット配信の音であり,一つは昔からの学生と一緒に飲む賑やかで明るい飲み会の昔ながらの友人との取り留めのない話なのである.

やることがたくさんあって首が回らない

就職先が決まった.

専攻科に進んだ頃から昔から入りたいと思っていた業界があり,その業界のNo2を目指していたが,推薦を出してもあえなく落選.そこで規模には劣るけれども評価が高い会社を受けてすんなり内定をもらえた.まだ6月にもなっていなかったけれども就職活動はそこで終了.

就職先が決まったからには,いま住んでいるアパートも今年度中には引き払わないといけないわけで.
引き払うからには新しい住処を探さないといけないわけで.

新居を探さないと.

できれば就職先から徒歩10分以内のところ.

朝ゆっくりおねんねしてたいよぉ.
 

それ以外にも研究が案外進んでいなくて(就職活動マジ許さん),教授にもケツをひっぱたかれている.

国際学会はナントカ終わったけれど,学会の原稿締め切りも近いし,実験はうまくいかないし,あとはあとは......

研究日記:2017/02/24

先日,公益財団法人某研究所へインターンシップへ行ってきた.

内容そのものはズバリ守秘義務のため公言することはできないのだけれども,幾つかの実験と結果の考察を含めたプレゼンテーションをやらされた.

研究所のインターンシップに参加して,実験自体はそれなりに面白いのだけれども,研究所は向いていないな,と思った.

企業からの請負研究とかが多いため利益とかに敏感なのかといえば実際はそうでもなく,なんとなくマイルドな雰囲気が漂っていて割りかし皆様のんびりと働いていた.とはいってもやはり博士が多く,弱小地方国立の僕はここで第一線を張っていくのは難しいだろうと思った.

 

間もなく就活戦線が始まるので,研究職に就こうか・技術職に就こうかを判断するためにインターンシップに行ったのだが,やはり僕にはあまり研究職は向いていないようだと確信した.

しかしまあ就職活動というのは準備やらなにやらで時間がたくさん取られる上に得られるものは少ない.

得られるものといえば,お祈りメールくらいか.

お陰様で全く研究が進まない.

研究の進捗といえば,今日教授に「研究進んでる?」と聞かれた.

正直に「進んでません」と答えた.
代わりにインターンシップで見てきた研究所の内情を雑談.
笑ってた.

最近何度も打診されているが教授は僕にドクターコースへ進んでほしいようだ."向いてる"とは言われるが,個人的には同意できないし,実感もあまりない.

修士でこの研究室に入ってから,日々教授の言うことに対して反論するに値する理由を考えて,それを伝えてきただけだが,どうやらそれが買われているような気がする.

教授は言うことがキツイから周りにイエスマンだらけだっただろうし(助教すらイエスマンである),僕みたいにあまり突っかかる学生がいなくて目新しく映るのだろうか.

理由はどうであれ,教授から博士に誘ってもらえるのは嬉しいが,ドクターコースはゴメンである.闇だ.

もちろん博士は学問を修めたという最高の証書となるが,とてもじゃないが自分がそれに値するとは,僕は思えない.

教授にはぜひStill water runs deepということを僕の態度に当てはめてほしい.浅瀬に仇波,でも良いかもしれない.

白樺の下

Facebookに上がっていた昔所属していた部活の顧問の先生の投稿を見て,ふと懐かしさがこみ上げてきた.そのまま思い立つままにYoutubeで我がふるさとの動画を調べていたら,かつて通っていた幼稚園の動画を見つけた.

当時僕が通っていた頃の園長先生は今考えても非常にできた先生で,当時僕は担当だった先生はさして好きではなかったのだが,園長先生だけは別だった.いつもニコニコと笑顔を絶やさない人で,園児に対しては目線を下げて話してくれる教諭のまさに鑑のような人物であった.園長先生は,虫や草花など生物系だけではなく,気象や天文など自然科学全般に対して造詣が深く,僕は園庭に出てくるとよく質問攻めにしたのを覚えている.

小学校時代はあまり良い先生には恵まれず,かなり僕は斜に構えているままに中学校へ進学した.僕が通った中学校とその幼稚園は隣同士で,朝登校する際にはしばしば保護者が子どもを幼稚園に連れて行くのを見ることがあるほどだったし,おそらく今でもそこの中学生は見ていることだろう.

おそらく中学校の二年生の頃だろうか.僕は登校の途中で園長先生とばったり会った.卒園してから一度も会っていないというのに,驚くべきことに園長先生は僕の名前を覚えていたのである.数百人は卒園した児童がいたというのに.園長先生と立ち話を数分程度して,授業があることを思い出して話もそこそこに立ち去ったのだが,それっきり園長先生先生と会うことはなかった.

その年の終わりに,新聞の訃報欄に園長先生の名前が載った.腸閉塞で亡くなったらしい.

当時も今も園長先生のことはとても尊敬していたし,園児にしては珍しく敬語を使う相手だった.本当に惜しい人をなくしたと思うが,享年87歳であったしポストも園長であったしおそらく充実した人生だったのだろう.

意味もなく思い出し,意味もなく悲しさがこみ上げたので一筆取ってみた.

焦りと焦燥

焦りも焦燥も同じ意味だが,どことなく焦燥のほうがいらいらが強く「苛立っている」ような感じを受ける.

修士課程に入ってから1年が過ぎようとしている.先日新年を迎えたばかりだが,間もなく就活シーズンを新たに迎えようとしていて,なにも準備をしていない自分に対して,また周りの学生諸君が就活の準備を始めていることに対してイライラしているのである.

むべなるかな.「此難渋に堪へずして焦燥した余の事である」とはいみじくも鴎外が「伊沢蘭軒」という小説に認めた言葉であるが,まさに難渋に堪へずして焦燥しているのは僕自身である.

もちろん就職活動に対しても焦りを覚えているのだが,学術活動もまた焦りを覚える一員となっている.

11月に学会を終えたばかりだと思っていたが,今月末にはまた学会が一つ控えているのだ.その実験の準備も終わっていない.さらには,5月末にある国際学会の原稿修正も控えている.就活シーズン真っ只中の6月には,投稿論文の締切が待っている(もっとも,別に向こうは僕のことを待ってはいないが).ああ,どうしよう.

首が回らないとはまさにこのことで,昨年に自分が(性格には自分と教授が)つぎつぎと見切り発車を行ったツケを今払っているのである.

ああ,どうしよう.