研究の意味
研究の意味について考える機会は多い.
それは,「なぜ私はこの研究をやるのか」という個人単位での「なぜ」から,研究の背景に必要な「なぜこの研究が必要なのか」という社会単位で生じる「なぜ」まで含む.すなわち個人の興味と社会のニーズだ.
この研究の意味はなんですか?
と時折学会で聞かれているところを見るが,研究背景をよく聞いていなかったひとが質問するときと,よく理解できなかったひとが聞くときがあるだろう.前者はまだ聞き手側に過失があるが,後者の場合は完全に登壇者の過失だ.自分の研究の背景をよくわかっていなければ,聞き手に理解させることはできないだろう.
研究室での進捗報告の場でも,同期が教授と話しているときでも,この質問は度々飛び出てくる.もっとも,学会などとは比べるべくもなく苛烈だけれども.
研究日記:見切り発車そのさん
新しい学会の見切り発車をしてしまった.
続きを読む研究日記:2016/10/25
今日は教授が出張で来ない.
普段教授がいるときは,毎朝9時には学生は研究室にいなければならない.居なければ怒られる(あとからネチネチと言われる).しかし,今日は教授が居ないからと言って,学生の多くが10時以降に研究室にやってきた.
全くけしからん.しかし,一番けしからんのは
助教が来なかったことだ.
いろいろ史跡巡りをしたはなし
かれこれ7年間も同じ学校で過ごし,隣の研究室で議論を重ねた友人Nが先日やってきた.
友人Nは僕とは別な大学の大学院へ進み,また,違った研究をしている.
現在僕の暮らす市には大小さまざまな史跡や小さな博物館があるが,この二日間でおよそガイドブックの半分程度を回った.
道中で今の研究室はどんな感じなのか,とか
最近どんな学会へ出席したのか,とか
とりとめなく話をしていたらあっという間に二日間経ってしまった.
「短いな」とは思ったが,そもそも友人Nと過ごした7年間ですら,終わるときに振り返るととても短く感じたのだ.今回だって短く感じるのは極めて妥当だろう.
「また会える」とわかってはいても,長く慣れ親しんだ友人と別れるというのはとてもとてもさみしく思う.
寂しい限りである.
「お家帰りたい」
強く思った.
この望郷の念,筆舌に尽くし難し.
研究日記:2016/06/30
長いこと研究日記を書くのをサボっていた.
サボっていた,とはいっても進んでいないのだから書きようもない,というのもまた事実だ.
今日から一週間出張で教授は学校にいない.つまり,僕たち学生はつかの間の自由を楽しめることになる.
光陰矢のごとし,だ.
うまく使わなければすぐに教授は帰ってきてしまう.
一部の学生は,バケツと編み,そして竿を持ち,釣りに出かけた.
一部の学生はクラブを持ち,ゴルフ場に向かった.
一方僕は,課題を少し片付け,実験をした.
どうやら,11月に行われる学会で発表しなければならないようだ.
先日,僕は教授の居室に呼び出さた.教授は,君には10月に学会発表してもらうから...と切り出し
「じゃあ,よろしく.」
と,そこらのバイト君だって言わないような気軽さで,僕に学会発表を義務付けた.
かくいう実験は,粉末Aをそこらのホームセンタで買ってきたボウル(私費)に入れ,ヒータで加熱する,というものだ.ボウルにそのまま粉末を入れたが,そうすれば必ずや溶けたものがボウルの表面に張り付いてしまい,冷えて固まったときに掃除するのがとても大変だろうと思っていた.
案の定,そうなった.
溶かすのはものの十分程度て終わったのだが,ボウルから剥がすのにめちゃくちゃ時間がかかった.離型剤が必要なので,適当なのを見繕っている.
それか,フッ素かなにかのコーティングを塗布するべきか.でも高いぞ.
少し迷うな.
まあ,申し込みは今月末だし,もう少しじっくり考えを練りながら,うまく実験をするか.