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古来より存在する「眼鏡」。一時はコンタクトレンズが大流行しましたが、近年様々な利点によりその利用法が見直されつつあります。また、最近街中で目を引く「眼鏡っ娘」。眼鏡を掛けるだけでなぜ可愛く見えるのでしょうか。今日のクローズアップ現代は世界を侵食する『眼鏡っ娘』の魅力について迫ります

学会発表一つ目終了

先日,学会発表をやっと一つこなした.発表時間10分,質疑応答5分の計10分だった.

学会にも,というよりは研究に流行り廃りがあるのだということを痛感した学会だった.昨年の同じ学会では板材料の検査についての発表が多かったが今年はあまり見られず,あったとしても昨年とは少し異なる方法を使っての検査手法の紹介だった.

そんな中私はもう枯れ果てたと言っていいような基礎的な指標を用いた手法を使って,ある部材の評価について紹介したが,これが案外に受けが良くて質疑応答の後に「あれってどういうことだったの」と質問してくれる先生がいらっしゃった.

学会発表では,質疑応答で定型句のように「XX大学出身のYYです.大変興味深い発表でした」と言われることが多いが,これはほとんどお世辞でしかなくどの先生も口を揃えて言うものなのである.その一方で,セッションのあとに設けられた休憩時間で先生が質問してきたら,それは興味を持ってもらえたと思っても差し支えないと思っている(機械系では共通認識のようなものだろうか).

ともかく,何名かの先生に興味を持ってもらえたというのは大変ありがたかったのだが,次回の学会発表のネタがない.これにかまけず,研究に邁進したい......と思っても,ネタがないのでどうしようもないのだ.

研究の意味

研究の意味について考える機会は多い.

それは,「なぜ私はこの研究をやるのか」という個人単位での「なぜ」から,研究の背景に必要な「なぜこの研究が必要なのか」という社会単位で生じる「なぜ」まで含む.すなわち個人の興味と社会のニーズだ.

この研究の意味はなんですか?

と時折学会で聞かれているところを見るが,研究背景をよく聞いていなかったひとが質問するときと,よく理解できなかったひとが聞くときがあるだろう.前者はまだ聞き手側に過失があるが,後者の場合は完全に登壇者の過失だ.自分の研究の背景をよくわかっていなければ,聞き手に理解させることはできないだろう.
研究室での進捗報告の場でも,同期が教授と話しているときでも,この質問は度々飛び出てくる.もっとも,学会などとは比べるべくもなく苛烈だけれども.

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研究日記:2016/10/25

今日は教授が出張で来ない.

普段教授がいるときは,毎朝9時には学生は研究室にいなければならない.居なければ怒られる(あとからネチネチと言われる).しかし,今日は教授が居ないからと言って,学生の多くが10時以降に研究室にやってきた.

全くけしからん.しかし,一番けしからんのは

助教が来なかったことだ.

小さい秋

昨日までは秋雨前線が日本列島に居座り,ジメジメとした日が続いていた.今日は打って変わってカラッとした秋晴れが広がっている.

前線が大陸性の高気圧によって南に押し出され,東日本・北日本全体的を冷涼な空気が覆ったためだ.

夏の終わりももうおしまい.

これからは一歩一歩秋が進み,冬の足音が日に日に大きくなってゆくのだろう.

見切り発車上等主義

学会に出ることになった.

学生の本文は勉強することではなく,研究することであるのだから,別段不思議なことではない.実際,昨年もその前の年も規模はどうあれ,学会に出席しているのだから.

しかしながら,毎度毎度見苦しいなぁと恥じ入ることをしている.

 

見切り発車なのだ.

それもヒドイ見切り発車だ.

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いろいろ史跡巡りをしたはなし

かれこれ7年間も同じ学校で過ごし,隣の研究室で議論を重ねた友人Nが先日やってきた.

友人Nは僕とは別な大学の大学院へ進み,また,違った研究をしている.

現在僕の暮らす市には大小さまざまな史跡や小さな博物館があるが,この二日間でおよそガイドブックの半分程度を回った.

道中で今の研究室はどんな感じなのか,とか
最近どんな学会へ出席したのか,とか

とりとめなく話をしていたらあっという間に二日間経ってしまった.

「短いな」とは思ったが,そもそも友人Nと過ごした7年間ですら,終わるときに振り返るととても短く感じたのだ.今回だって短く感じるのは極めて妥当だろう.

「また会える」とわかってはいても,長く慣れ親しんだ友人と別れるというのはとてもとてもさみしく思う.

寂しい限りである.

「お家帰りたい」
強く思った.

この望郷の念,筆舌に尽くし難し.