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古来より存在する「眼鏡」。一時はコンタクトレンズが大流行しましたが、近年様々な利点によりその利用法が見直されつつあります。また、最近街中で目を引く「眼鏡っ娘」。眼鏡を掛けるだけでなぜ可愛く見えるのでしょうか。今日のクローズアップ現代は世界を侵食する『眼鏡っ娘』の魅力について迫ります

なぜ廃人とぅいったらーが発生するのか

廃人ツイッタラー怖い

世の中にはツイート数が10万を超え、1日に500件を超えてツイートをしている人がいます。人は彼らをツイートをして実生活を捨てた者として「廃人」と呼び畏怖を集めています。

なぜ、廃人ツイッタラーは発生するのでしょうか。本記事は廃人ツイッタラーの発生の謎に迫ります。

今日は本を借りました

常日頃から読書量を増やそう、増やそうとして図書館から本を借りています。
少し読んでは返却し、また別な本を借り、少し読んでは返却しを繰り返すため、なかなか一冊を一気に読み終えることはありません。

今日は以前何回か借りては返却している「日本語と文語文 今なお息づく美しいことば」という本を借りました(n回目の帯出)。

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近代では話しことば(=口語文)で文章を書くようになりました。昔の人が使っていた「ぞ・なむ・や・か」によって活用変化するような、古文(=文語文)を使って文章を各人は(ほとんど)いません。
しかし、口語文が広く普及した今日であっても、文語文は格調の高さを気に入られ、儀礼的な文書や、強調が必要な新聞のタイトルなどに使われています。

「近代日本語と文語文」は、文語文が明治以降の近代日本を主眼として、文語文がどのような役割を果たしてきたのか、文明人は文語文をどのように扱ってきたのかを紹介しています。

本題

そのなかで、興味深い項目がありました。「メモ魔だった日本人」という項です。

メモ魔だった日本人

第二次世界大戦で戦死した日本軍兵士の軍服のポケットには、例外なく小さな手帳が入っていて、そこには、センチにおける日常が鉛筆で細々と記してあった……(中略) ……日常の些事を細大漏らさずメモしておく習性があったことがわかります。……(略)。

江戸期の面白さは、身分の上下を問わず、文字の欠けるレベルの人なら一様に様々な記録を残していることで、この事実は日本の近世社会における文化上の特質ではないかと思います。旅をする上の必需品として、携帯用の筆と墨入れがあったことは何を示しているでしょうか。それは見たもの、聞いたものを書き留めておかずにはいられないという精神の表れです。

(略)。

これこそが、TwitterMixiなどのSNSが発達したのはなぜかなのか、に対する回答なのではないかと思います。

日本人は昔から日常をメモるのが好きで、それは江戸時代からずーっと続いていたことだった、というわけです。

2000年代前半はMixiが大流行しましたが、2010年代に入ってからは、ミニブログと呼ばれる短い文書で投稿できるTwitterが大流行し、Facebookも日本のメジャーなSNSになりました。それからはMixiもまるでパクるかのように短文投稿システムを実装し、長文のブログサービスを提供するサイバーエージェントアメーバブログも、短文投稿システムを実装しました。

「日常の些事を細大漏らさずメモ」とありますから、おそらくは紙にびっしりと文章として書いたというよりは、箇条書きのように端的に書いていたのではないかなと思います。そう考えると、長文投稿のブログよりも、ショートメッセージであるTwitterのようなサービスが日本人受けするというのは、さしておかしくはないのかなと思います。
さらには、「文字の書けるレベルの人ならだれでも書いていた」なので、日記・メモする人口が非常に大きかったことがわかります。日本人には、昔から短文投稿するにあたる素養が潜在的に存在していたのでしょう。それが、インターネットの普及にともなって発達した短文投稿サイトとうまく合致し、利用者数が増えた。

考えると、東日本大震災のあたりからTwitterを使う人が増えたように感じます。日本における知名度が上がったのがその頃なのかはわかりませんが、地震を経て自分の生きてきた記録を残しておきたいと考えても、おかしくないと思います。
僕の身の回りにも1日に300とか400ツイートするような人が増えたのもその頃だったように思います。

細大漏らさずTwitterにメモする人が増えた、というのは廃人ツイッタラーが増えた理由として妥当なのではないでしょうか

みなさんもツイートの分量・用法を守って賢く使いましょう。
僕も以前に比べて最近ツイート数が増えているので、ちょっと少なくしないとまずいな、と思っています。