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古来より存在する「眼鏡」。一時はコンタクトレンズが大流行しましたが、近年様々な利点によりその利用法が見直されつつあります。また、最近街中で目を引く「眼鏡っ娘」。眼鏡を掛けるだけでなぜ可愛く見えるのでしょうか。今日のクローズアップ現代は世界を侵食する『眼鏡っ娘』の魅力について迫ります

猛暑の束の間やませに吹かれ吉田川サイフォンライド

やませ

東北では米の凶作、冷害の原因としてやませを上げることがあります。

やませ(山背)とは、春から秋に、オホーツク海気団より吹く冷たく湿った北東風または東風(こち)のこと

本日の気圧配置はオホーツク海上に高気圧があり、南海上には台風がありました。この高気圧からの風がやませとなり、仙台では連日の猛暑から一転して涼しい日になったようです。

さすがに連日のようなセ氏36度とか38度のような猛暑日では走りに行く気は全く湧きませんが、今日のように涼しいならば話は別。学校の友人と一緒に、100 kmを超えるライドへ行ってまいりました。

ルート概要

名取市名取市立第二中学校を起点とし、県道10号線で北上します。仙台港に到着した後、県道23号に乗り、塩釜へ。その後は国道45号に乗って松島をパスし、東松島市で昼食をとります。昼食後は鳴瀬川を遡上し、吉田川サイフォン、明治潜穴を見たあとに、利府街道と国道4号経由で帰るルートです。

吉田川サイフォン・明治潜穴とは?

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明治潜穴

今は大崎市となっていますが、かつて宮城県には鹿島台町という町があり、その前は鹿島台村という村でした。

鹿島台には、品井沼という度々氾濫を起こしていた湿地帯がありました。近隣住民は品井沼の氾濫には長い間悩まされていたため、江戸時代から昭和にかけて開拓事業が実施されました(品井沼干拓事業)。この干拓事業によって品井沼に流れ込む河川の流路や、流れだす河川の流路が変えられました。そのときに作られたのが吉田川サイフォンや明治潜穴です。

かつてあった品井沼の水を抜くために、元禄潜穴や明治潜穴といった河川のトンネルが作られました。鳴瀬川からの逆流を防ぐために、鳴瀬川品井沼は完全に分離され、吉田川は河川経路を延長され、鳴瀬川と並行しながら石巻湾直前で合流します。また、品井沼に流れ込んでいたいくつかの河川は鶴田川にまとめられ、吉田川の下を流れています(吉田川サイフォン)。吉田川サイフォンを経た鶴田川は高城川と名前を変え、途中の山を明治潜穴で超えた後、松島湾に注ぐのです。

これだけの事業を320年以上に亘って行った底力。すごいと思います。

小学校のころはよく鹿島台町の体育館に行きました。体育館には鎌田三之助記念館という記念館が付属しています。鎌田三之助は、品井沼干拓事業に大きく貢献した鹿島台村村長でした。

河川・治水の歴史はとても興味深いです。高城川・吉田川のような趣深い歴史を誇る河川は宮城県にはあまり見られないため、他県でドンドン開拓したいですね。

東京はこういう治水事業ほんとに多いと思います。特に暗渠化の歴史とか興味深いです。江戸東京博物館あたりで見られないのかしら。

 

参考

品井沼 - Wikipedia

吉田川改修とサイフォン