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古来より存在する「眼鏡」。一時はコンタクトレンズが大流行しましたが、近年様々な利点によりその利用法が見直されつつあります。また、最近街中で目を引く「眼鏡っ娘」。眼鏡を掛けるだけでなぜ可愛く見えるのでしょうか。今日のクローズアップ現代は世界を侵食する『眼鏡っ娘』の魅力について迫ります

コミュニケーション能力とは一体何なのか

世の中には「コミュニケーションが上手く取れない人」を指して「コミュ障(=コミュニケーション障害)」と言うことがあります。

で、この記事にも書いてあるとおり以下の様な特徴が認められます。

  • 話しかけにくい雰囲気
  • 相手の話を最後まで聞かない。
  • 少しでも自分の意見と異なると怒り、相手を否定する。
  • 自分を正しいと思い込んでおり、自分の否を決して認めない。

実際こういう人もいますね。
自分の話を否定されたり、話を聞かなかったりとかそういう傾向はたとえ誰であろうと多少はあると思いますが、「コミュ障」はそれが輪をかけてひどいと。そういう認識です。

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キムワイプ(話の途中でいきなりこういうことを言うとコミュ障だなって思われます)

話は少し変わりますが、大学や高校の教育目標やシラバスの達成目標に「コミュニケーション能力」という言葉がよく登場します。
企業もよく採用の募集要項に「コミュニケーション能力の高い人材」とかそんなことを書いています。

僕が小さいときからよく見ている光景ですが、

  • AさんとBさんはあまり話が続かない
  • AさんとCさんはよく話をしている
  • CさんとBさんは話が続かない
  • CさんとDさんは話が良く続く

ということがあります。ある人とある人はそりが合わないけれど、別な人とはよく話すという状況も似ています。
こういった光景を指して、流体力学を教えていた僕の先生はこう言いました

コミュニケーション能力は個人が保有する固有の能力ではない。人物が話をする中でその間に成り立つ、関係性を表すもの」

これ、言われて僕も「そうだな」と思いました。

この定義を利用すると「あいつはコミュニケーション能力が高い」と言われている人も、周りの人とただうまく付き合えているだけか、うまく付き合える人で固めているだけであって、当たり前ですがそりが合わない人とかは必ずいるわけです。

で、企業面接なんかで面接官が「こいつコミュニケーション能力高いな」と思うときは、たまたまその面接官とうまく話が合う学生だっただけだったりするわけです。入社してから別の社員と話をしたときになんか話が噛み合わなかったりして結局評価が下がる……というような人もいるわけですよね(実際僕のバイト先にはそういう人がいました)。

コミュニケーション能力が個人保有じゃなくって、相互の関係で決まるんだったら、別にコミュニケーション能力って向上しないんじゃないかと思うかもしれません。
でも、自分の色々な引き出しが多くなるにしたがって、いろいろな人と話を合わせられるのならば、結局はコミュニケーション能力が向上するのだと思います。 

そういえば、自転車の話さっぱりしてないな……。