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古来より存在する「眼鏡」。一時はコンタクトレンズが大流行しましたが、近年様々な利点によりその利用法が見直されつつあります。また、最近街中で目を引く「眼鏡っ娘」。眼鏡を掛けるだけでなぜ可愛く見えるのでしょうか。今日のクローズアップ現代は世界を侵食する『眼鏡っ娘』の魅力について迫ります

僕が欲しかったもの

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僕がカメラを初めて手にとったのは、いつのことだっただろう。はっきりとは覚えてはいないが、幼稚園か小学生の頃だった覚えがある。
確か、そのカメラは京セラのSAMURAIという、ハーフ版のカメラで、当時すでに他界していた祖父がビックカメラで購入したものだった。

初めて自分のカメラを持ったのは、19歳の初夏のことだった。
父が若い頃に使っていたKonica Acom-1というフイルムカメラを譲ってもらったのだ。ARシステムというマウントで、HEXANONレンズを採用していたものだった。HEXANONレンズは非球面レンズが流行りだした当時でも球面レンズをかたくなに採用し、なかなかによく映るレンズとして有名だった。

ここで話すのは、しばらく前の夏のことである。
19歳、大学1年というのは、高校を卒業してほとんど時間も経っていない時期だ。その一方で、当時の感覚としてはだいぶ時間が経っているように感じられ、幾分大人びた感覚もある。もちろん、それは今考えるとどうしようもなく青い、思い込みに過ぎないものだった。
僕はその当時、高校の同級生だった1人の女の子(今となっては立派な女性ですが)に淡い気持ちを抱いていた。
もっとも、初夏になると、それぞれ、通う学校の雰囲気も大体つかみ、校風にも慣れてくる頃合いだったのか、お互いに度々連絡をとる程度の関係だった。

僕は珍しくやる気をだし、8月のある日の夕方、彼女に電話をした。
近くの河川敷まで2人で出かけることになった。

僕は、そのとき父から譲ってもらったカメラを持って向かった。
未だ使い慣れないカメラの試写を重ねたいという建前があった反面、当時好きだった女性をファインダーで覗き、フイルムに焼き付けたいという歳相応の性欲にも似た強い願望、本音が存在していた。

2人でゆっくりと専攻や同級生などの近況を語りながら河川敷を歩いた。彼女は、高校生の頃に比べ、人間として一歩深みを増し、女性として素晴らしく美しかった。

当時、河原近くに神社があり、その周辺まで来た頃、僕はカメラの話しを出した。「今カメラを持ってきてるんだ。よかったらモデルになってくれないか」と。

普段肉眼で見る日常も、カメラのファインダーを通して見るとガラっと風景が変わって見える。写真を趣味にしている人なら共感を抱いてもらえるものだと思う。

彼女に向かってレンズを向けたとき、そのことを初めて理解できたかのように思えた。
肉眼では彼女はしっかりと一個独立しているように見えていたが、十数枚のガラスと一枚の鏡越しに見るその目は、不安に揺らいでいた。

おそらく、初めてモデルとしてカメラを向けられることもあったのだろうが、将来への漠然とした不安に戸惑いを隠せなかったように思える。

肉眼とファインダー越しの彼女のギャップに戸惑い、僕は固まってしまった。人差し指の腱がいうことを聞かなかった。
シャッターを切れないでいると、彼女はやがてしびれを切らしたのか、ゆっくりと口を開いた。
「ねえ、どうすればいいの?」
僕の答えは、もちろん決まっていた。
「無人化すべきである」