研究の意味
研究の意味について考える機会は多い.
それは,「なぜ私はこの研究をやるのか」という個人単位での「なぜ」から,研究の背景に必要な「なぜこの研究が必要なのか」という社会単位で生じる「なぜ」まで含む.すなわち個人の興味と社会のニーズだ.
この研究の意味はなんですか?
と時折学会で聞かれているところを見るが,研究背景をよく聞いていなかったひとが質問するときと,よく理解できなかったひとが聞くときがあるだろう.前者はまだ聞き手側に過失があるが,後者の場合は完全に登壇者の過失だ.自分の研究の背景をよくわかっていなければ,聞き手に理解させることはできないだろう.
研究室での進捗報告の場でも,同期が教授と話しているときでも,この質問は度々飛び出てくる.もっとも,学会などとは比べるべくもなく苛烈だけれども.
修士課程が始まってからもはや半年が過ぎた.
当初5人いた修士一年も4人になってしまった.一身上の都合で1人が辞めてしまった.少しだけ人数が減ったと思っていたが,また同期が減るかもしれない.
同期のテーマがなかなか決まらないのだ.
今,研究がそこそこ進んでいるのは僕ともう1人だけ.それなりに成果が出ていて,僕らは学会発表をする機会が与えられたが,彼らは実験の結果を認めてもらえない状態である.
彼らは,なにかにつけて楽をしたがる.実験をするのにモデルを立てる必要があるが,基礎的なことをすっ飛ばしてモデルを立てている.例えば,
熱流束を測定してから微小時間での熱流束測定をすればいいのに,初歩的な熱流束の測定を手始めにやらない.しかも,デカルト座標でやらずにいきなり円筒座標系で実験を始める.
と言った感じだろうか.さらには,ポカミスで座標変換をしっかり行わないとか,そういうこともやる.当然教授に怒られる.だから何をやっても疑いの目で見られてしまい,結局は最初選定したテーマで行った実験も結果を認めてもらえないのだ.
やれやれと言いたい.
こないだも教授に依頼された仕事で似たようなことをやらかしていて,実験室で教授に責められていた.
ほんと,バカばっか.